ここで用いる「成長」と「慣れ」という枠組みは、私自身が日々の観察や経験をもとに独自に定義しているものであり、学術的な明確区分や一般的な合意があるわけではない。しかし、私たちが学びやスキル獲得の過程でしばしば遭遇する「質的変化」と「単純な繰り返し」には、確かに質的な違いが存在しているように思える。これを「成長」と「慣れ」という対比で示すことで、読者が今後のキャリアや生活において、自分がどの段階にいるのか、次に何を求めるべきなのかを考えるきっかけになれば幸いだ。
成長と慣れを分かつ境界線
まず「成長」とは、能力の基盤自体が刷新されたり、枠組みそのものが広がったりする状態を指す。たとえば、赤子が母語を獲得する過程を思い浮かべてほしい。単に新しい単語を覚えるレベルではなく、音やリズムを感知し、文法や意味理解を通じて「言語」という能力の土台そのものを脳内に築いていくプロセスだ。これは、全く新しい器を作り上げるような根源的な変化であり、私はこれを「成長」と呼びたい。
一方、「慣れ」は、その土台がすでに整った状態で、新たな要素を「既存のフレーム」に当てはめていく作業に近い。成人が第二言語を学ぶケースを想定してみると、すでに母語という「言語フレーム」が存在するため、それを流用して別の言語体系を理解する。ここでは、ゼロから認知の枠組みを組み直しているわけではなく、「慣れ」や「追加」で済んでいる。それはもちろん価値のあるプロセスだが、「成長」と比較すれば、より表層的な変化にとどまる部分が多い。
言語習得に見る成長と慣れ
言語習得はその典型的な例だ。赤子は環境に晒されることで言語中枢を活性化し、言葉の世界全体を獲得する。一方、ある程度大人になってから英語や中国語などを学ぶ際、私たちは文法書や単語帳を用い、既存の言語知識や論理的推論力を活かして習得を進める。習熟度を高める過程は主に「慣れ」であり、それは母語を獲得する際のような脳の根底的再編とは異なる。
ビジネスの世界でも同様のことが言える。新卒で入社したての社員は、業界知識、ビジネスマナー、基本的な問題解決手法など、「社会人としての基盤」を一から構築する。この時期はまさに「成長」にあたる。だが、しばらく同じ部署で同じ業務を続けると、プロセスは効率化され、細かなスキルは身につくものの、それは既存の枠組みの中での修正、つまり「慣れ」の段階に移行していく。
スポーツから学ぶ本質的な成長の場
スポーツの世界もまた、「成長」と「慣れ」の好例を提供する。新たな競技を始める際、私たちは身体の動かし方、競技規則、戦略思考など、すべてをゼロから理解する必要がある。身体感覚や思考回路が再構築され、これが「成長」をもたらす。しかし、ある程度上達してくると、フォーム改善や道具への慣れは既存のスキルセットに小手先の工夫を加える程度になってしまう。そこでトップアスリートは、新たなコーチング理論や未知のトレーニング手法、異なる競技理論に触れることで、再び根底的な飛躍を模索する。つまり環境や指導者を変えることで、本質的な成長を呼び戻そうとするのである。
仕事で再び成長を得るための具体的アプローチ
多くのビジネスパーソンは、一度仕事に慣れると「慣性」で日々を過ごす傾向がある。だが、それでは長期的なキャリアアップや革新は難しい。再び「成長」を獲得するためには、意図的に新しい環境へ飛び込むことが有効だ。
たとえば、ジョブローテーションによって異なる部署や職種を経験すれば、まったく別の思考パターンや業務哲学が要求される。また、海外駐在や異文化プロジェクトへの参加によって、言語や商習慣が異なる環境で仕事をする経験は、ビジネス観を根底から組み替える可能性がある。
さらに、新規事業の立ち上げや、これまで縁のなかった技術領域(たとえばデータサイエンス、AI活用、全く異なる業界知識)の習得は、単純なスキル追加では済まない認知変革を要求し、「成長」へと導きうる。個人レベルでも、MBA取得や全く新しい資格取得、あるいは副業・プロボノ活動を通じた異分野への挑戦など、枠組みを揺さぶる行動は多様に考えられる。
マネージャーへの昇進も、単に業務効率化スキルを磨くだけではなく、人材育成や組織文化形成のノウハウ、リーダーシップ理論など、根源的に異なる能力を要求される。この過程も新たな枠組みを獲得する「成長」と言える。
成長環境を選び続けるために
では、どうすれば「慣れ」ではなく「成長」を持続できるのか。その鍵は「環境」だ。コンフォートゾーンに留まる限り、私たちの能力は現状維持か、せいぜい微調整で終わる。だからこそ、意図的に環境を変え続ける必要がある。
スポーツ選手は新たなコーチを探し、言語学習者は留学などの異文化環境へ飛び込み、ビジネスパーソンは新プロジェクト、異業種交流、学び直し(リスキリング)を行う。こうした行動が、既存の枠組みを壊し、新たな枠組みを構築する「本質的な成長」の契機となる。
もちろん、一度慣れた環境は居心地がよい。だが、その安定は同時に停滞でもある。「成長」を求めるならば、安定を脱し、不確実性の中に身を投じる勇気が必要だ。これは怖いことかもしれない。しかし、その挑戦がこそが後々、新たなキャリアパスや能力領域を拓く。
結論:成長と慣れを超え、新たな環境へ
冒頭で述べたように、ここでの「成長」と「慣れ」は私自身が恣意的に定義した概念である。しかし、この対比を意識することで、私たちは今どこにいるのか、そしてどこへ向かうべきなのかをはっきりと捉え直せる。
言語習得、スポーツ練習、ビジネス経験――どの分野でも、最初期には自然と「成長」がある。それは新しい世界に飛び込むとき、不可避的に起こる脳や身体、思考回路の再構築だ。だが、いったん慣れてしまえば、安定の中で停滞する可能性が高い。そこで再び成長へと向かうには、自ら意志を持って環境を変える必要がある。
成長は待っていて得られるものではない。自ら行動し、場を選び、枠組みを揺さぶり、新たな知見を得ることでこそ、人はコンフォートゾーンの外側へ踏み出すことができる。私たちはいつでも、「成長」を選び直すことができるのだ。